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日本基督教団 島村協会

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建築年:明治30年(1897)
所在地:群馬県伊勢崎市境島村

 伊勢崎市の島村という地域は、かつて蚕種業で栄えた地域である。その島村で明治時代に蚕種業を営んでいた田島善平は蚕種のヨーロッパへの直輸出を行っていたそうで、その仕事を通じ通じヨーロッパを訪れている。ヨーロッパでキリスト教に触れた彼は、その教えを島村の地に持ち帰った。明治20年(1887)善平は自宅内にキリスト教の講義所を建設する。しだいに信徒の数は増え、講義所が手狭となったため明治30年(1897)この教会が建設された。島村という地域の進取の精神を感じさせる建築である。
 明治という時代を反映して、和洋折衷の建築となっている。国登録有形文化財でもある。



参考文献:『伊勢崎市文化財ハンドブック』伊勢崎市教育委員会
     『ぐんま発見!絹遺産』パンフレット 群馬県企画部
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

五料関所跡

門の礎石
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現地案内板
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所在地:群馬県佐波郡玉村町五料

 利根川のほとりにある五料関所は、日光例幣使道でただ一つの関所であった。設置されたのは元和2年(1616)で、近世では全国で2番目に古い関所である。通行人だけでなく、利根川を行き交う船の監視も行ったそうである。
 現在残っている遺構は、門の礎石と井戸の跡である。今回の訪問では、残念ながら井戸の跡を見つけることが出来なかった。


参考文献:玉村町ホームページ

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

河合城

櫓台跡
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現地案内版
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築城年:天正年間(1575)頃
築城者:斎藤基盛
所在地:群馬県佐波郡玉村町川井

 この城には、金窪城主で北条氏邦麾下の斎藤定盛の弟、斎藤基盛が配置されていた。天正10年(1582)の神流川の戦いでこの城が攻め落とされると、清水内記邦正という武士がこの地を受け継いだようだ。

 現存する遺構は、櫓台と思われる土塁のみである。この土塁の上に登るとと大変見晴らしがよい。この城がまだ使われていた当時などは、対岸の金窪城との連絡も容易だったのではないだろうか。定盛・基盛の兄弟は烏川の両岸で、お互い協力し合いこの地を守っていたのであろう。


参考文献:『日本城郭大系』新人物往来社

群馬県旧県庁本庁舎(群馬県前橋市)

群馬県旧県庁本庁舎
群馬県庁昭和庁舎

群馬会館
群馬会館

所在地:群馬県前橋市大手町
竣工年月:1928年(昭・3)
設計:佐藤功一


 群馬県旧県庁本庁舎(現群馬県庁昭和庁舎)は、外壁のスクラッチタイルが映える昭和初期における規範的庁舎建築である。設計は早稲田大学大隈講堂で知られる佐藤功一。彼は群馬県庁東隣にある群馬会館(群馬県初の公会堂として1929年に竣工)の設計も担当している。庁舎には屋上庭園や水洗トイレ等、竣工当時としては最先端の技術が各所に導入されており、約70年の長きに亘り本庁舎として利用された。現本庁舎が1999年に完成したのに伴い、2001年の改修を経て、現在は会議室やパスポートセンターを備えた文化施設として保存活用されている。


参考文献:『日本の建築』 昭文社

深大寺城

現地案内板
現地案内板

土塁
土塁

空堀
空堀

土橋
土橋

腰郭
腰郭

所在地:東京都調布市深大寺町
築城年:不明(再興:1537年(天文6年))
築城者:不明(再興:上杉朝定)

 この城は元々何らかの城跡だった場所を、1537年(天文6年)に上杉朝定が勢力を拡大する北条氏に対抗するために再興し築城した城である。北条氏はこの城を攻めず、上杉朝定の本拠である河越城を直接攻めたため、この城では戦いは起きなかったようである。河越城攻略によって北条氏の勢力下に入ってからのこの城は使用された形跡がなく、廃城になったものと考えられる。


参考文献:『日本城郭大系』 新人物往来社
 



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