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河合城

櫓台跡
P1020115.jpg


現地案内版
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築城年:天正年間(1575)頃
築城者:斎藤基盛
所在地:群馬県佐波郡玉村町川井

 この城には、金窪城主で北条氏邦麾下の斎藤定盛の弟、斎藤基盛が配置されていた。天正10年(1582)の神流川の戦いでこの城が攻め落とされると、清水内記邦正という武士がこの地を受け継いだようだ。

 現存する遺構は、櫓台と思われる土塁のみである。この土塁の上に登るとと大変見晴らしがよい。この城がまだ使われていた当時などは、対岸の金窪城との連絡も容易だったのではないだろうか。定盛・基盛の兄弟は烏川の両岸で、お互い協力し合いこの地を守っていたのであろう。


参考文献:『日本城郭大系』新人物往来社

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深大寺城

現地案内板
現地案内板

土塁
土塁

空堀
空堀

土橋
土橋

腰郭
腰郭

所在地:東京都調布市深大寺町
築城年:不明(再興:1537年(天文6年))
築城者:不明(再興:上杉朝定)

 この城は元々何らかの城跡だった場所を、1537年(天文6年)に上杉朝定が勢力を拡大する北条氏に対抗するために再興し築城した城である。北条氏はこの城を攻めず、上杉朝定の本拠である河越城を直接攻めたため、この城では戦いは起きなかったようである。河越城攻略によって北条氏の勢力下に入ってからのこの城は使用された形跡がなく、廃城になったものと考えられる。


参考文献:『日本城郭大系』 新人物往来社
 



那波城

城跡の碑
那波城

築城年:天文年間(1540年頃)
築城者:那波宗俊
所在地:群馬県伊勢崎市堀口町

 上野国那波郡に本拠を置いた、大江広元の子孫である那波氏の築いた城である。
 鎌倉・室町と勢力を誇った那波氏だが、天文十年(1541)の金山城の由良氏との戦いに敗れ衰退し、永禄三年(1560)には上杉謙信に那波城を攻められ那波城は落城してしまう。謙信は那波城に北条高広を入れ、関東諸将の総横目とした。そして那波氏は人質を差出し本領を安堵された。北条高広が厩橋城に移ると、高広に従って厩橋に赴いたり那波牢人となって故地を去る者も多く出て、那波氏は大きく衰退した。
 上杉の人質となっていた人物は、元服し那波顕宗と名乗った。顕宗は小田原の北条氏に属すが、北条氏滅亡後は、上杉景勝を頼った。その後、顕宗は天正十八年(1590)奥州九戸で討死し、那波家は断絶してしまった。
 徳川家康の関東入国後、那波城には松平家乗が1万石で入るが、家乗が慶長六年(1601)に美濃岩村に移ると那波城は廃城となった。
 現在、遺構は何も残っておらず、ただ碑が建つのみである。

参考文献:『日本城郭大系』 新人物往来社




中屋敷

堀跡の水路
中屋敷 堀跡(1)

中屋敷 堀跡(2)

築城年:中世
築城者:不明
所在地:群馬県伊勢崎市波志江町

 前の記事の岡屋敷の近くにある中世の豪族の居館跡である。目立った遺構もなく詳細は不明であるが、堀跡と考えられる水路がかつて館のあったことをを偲ばせる。


参考文献:山崎一 『群馬県古城塁址の研究』 群馬県文化事業振興会


文責:細井



岡屋敷

堀跡の水路
岡屋敷 堀跡(1)

岡屋敷 堀跡(2)

築城年:中世
築城者:不明
所在地:群馬県伊勢崎市波志江町

 中世の豪族の居館の跡である。明確な遺構は残されていないが、堀跡の水路から当時の館のあった区画を偲ぶことができる。細井善平治家の館であったと伝わっているそうであるが、この人物がいかなる人物であるのかまでは調べられなかった。


参考文献:山崎一 『群馬県古城塁址の研究』 群馬県文化事業振興会


文責:細井



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