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那波城

城跡の碑
那波城

築城年:天文年間(1540年頃)
築城者:那波宗俊
所在地:群馬県伊勢崎市堀口町

 上野国那波郡に本拠を置いた、大江広元の子孫である那波氏の築いた城である。
 鎌倉・室町と勢力を誇った那波氏だが、天文十年(1541)の金山城の由良氏との戦いに敗れ衰退し、永禄三年(1560)には上杉謙信に那波城を攻められ那波城は落城してしまう。謙信は那波城に北条高広を入れ、関東諸将の総横目とした。そして那波氏は人質を差出し本領を安堵された。北条高広が厩橋城に移ると、高広に従って厩橋に赴いたり那波牢人となって故地を去る者も多く出て、那波氏は大きく衰退した。
 上杉の人質となっていた人物は、元服し那波顕宗と名乗った。顕宗は小田原の北条氏に属すが、北条氏滅亡後は、上杉景勝を頼った。その後、顕宗は天正十八年(1590)奥州九戸で討死し、那波家は断絶してしまった。
 徳川家康の関東入国後、那波城には松平家乗が1万石で入るが、家乗が慶長六年(1601)に美濃岩村に移ると那波城は廃城となった。
 現在、遺構は何も残っておらず、ただ碑が建つのみである。

参考文献:『日本城郭大系』 新人物往来社




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コメント

大江広元

北条高広の先祖は、大江広元だと聞いた事があります。
毛利元就も大江広元の子孫だと聞いた事があります。
北条高広は毛利一族なのです。

那波氏も大江広元の子孫なら、北条高広をその城に配置したのは理にかなったものと言えるかもしれません。

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